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山羊飼いが八木になったおはなし

 わが家は「やぎ農園」と名乗り、看板にもヤギをかたどったレリーフを使っています。

2018年に2頭のヤギが相次いで死んでしまうまで、わが家では18年間山羊を飼っていました。かつてはヤギたちにエサをあげるのを楽しみにしている小さな子どもたちが訪ねてきました。こんなわが家とヤギたちのお話を書くとともに、山羊たちの懐かしい写真をお見せしようと思います。


空を飛んだヤギ

 私が新規就農してから4年目の2000年のこと、「全国山羊ネットワーク」という団体が愛知県岡崎市で「第3回全国ヤギサミット」を開催するという記事を新聞で知り、夜行バスを使って参加しました。それまでヤギとの縁は全くなかったのですが、何となく興味を持ったからです。学校での飼育、沖縄での肉用やぎの飼育など実際に飼育をしていたり研究をしている方々の発表も興味深かったのですが、この全国山羊サミットでの一番の収穫は、名古屋大学が実験用に飼っていたミニシバヤギを販売していたことです。草食動物の飼育など経験したことがないのに、担当の教授にお願いしてオス・メス2頭の子ヤギを購入することにしました。名古屋空港から成田空港まで、小動物用のキャリングケースに入れられて空を飛んできたのです。私は、夕方軽トラックで成田空港の貨物ターミナルまで引き取りに行きました。その2頭の子ヤギには「マツ」と「ウメ」という名を付けました。

一気に6頭を飼うことに

 こうしてやぎの飼育を始めたわけですが、すると今度は、近所で新規就農した仲間から飼っているヤギの一家親子4頭を全部引き取ってもらえないだろうかと頼まれて、飼うことにしました。その母ヤギはしばらく乳を搾ることができました。ヤギの乳は臭いという話を聞いていたのですが、全然そんなことはなくて、甘みがあっておいしいのです。何しろエサは私が与えた青草ばかりだったのですから。その当時、地元の直売所によく訪ねて来ていた俳優の石田えりさんがヤギの乳を飲んでみたいというので、差し上げたこともありました。

 しかし、ヤギのことを良く知らなかった私は、子ヤギに首輪をつけて木につないでいたら、足を滑らせて死なせてしまったり、腰麻痺というヤギ特有の病気の怖さを知らないために予防接種をしなかったら早死にさせてしまったりと、何度かかわいそうなことをしました。ヤギは飼い主の車の音を覚えます。だから、飼い主の車の音がかなり遠くから聞こえてくると途端に「メエ~」と鳴きだすのです。そんな風ですから、飼い始めるとかわいさを感じるものです。

わが家のシンボル「タロウ」

 ヤギは脱走の名人なのですが、その際にメスに接近し、思いもよらず子ヤギが生まれることも経験しました。こうして2001年に生まれたのがオスヤギの「タロウ」です。生まれた時は弱く、一時命が危ない状態になってしまったのですが、たまたま訪ねてこられた方が一晩中抱いて過ごしてくださったために、助かりました。その後元気に成長し立派な角を持ったヤギとなり、診ていただいていた獣医さんに「立派なヤギだね」と褒められるほどの雄姿となりました。「やぎ農園facebookページ」のシンボルマークとなっているのがその「タロウ」です。

 タロウは全盛期には、つないでいた金属のチェーンやワイヤーを引きちぎったり、トラクターに付ける鉄車輪を引っ張って逃げ出すなど、たびたび脱走事件を起こしました。そんなタロウも、8年後に陽麻痺によって死んでしまいました。

わが家で生まれた子ヤギたち

 子ヤギが欲しいからと、近所のうちからメスヤギを借りて生まれたタロウの子が「モモ」というメスヤギで、そのモモが産んだ子が「ハル」というメスヤギでした。2011年震災の年の秋にモモが三つ子を、ハルが双子を産んだために、8頭ものヤギがいたこともありました。その子ヤギたちのうち4頭は、それぞれの引き取り手の元へ送り出しましたが、1頭のオスヤギ「ポンタ」だけは残しました。とても人懐こいのでかわいがっていたからです。「ポンタ」と「モモ」は長く飼っていたのですが、2018年に相次いで死んでしまいました。山羊を飼い始めたから18年が過ぎていました。現在は農作業が忙しくなったために、十分な世話ができそうもないと判断し、当分の間山羊を飼わないことに決めています。

ヤギを飼っていたら「八木」になった私

 私は25年前に新規就農者としてこの地で暮らすようになりました。もともとの姓は「八木」ではなかったのですが、ヤギを飼い始めた翌々年に思ってもいなかった転機が訪れました。当時の三芳村で暮らし、冠婚葬祭の付き合いもしていた近所の方から、「三芳村の中にある親戚で跡取りのいない農家に養子に入る気はないだろうか」との相談を受けたのです。私自身はもちろん、家族も納得してくれたため、そのお話はすぐに決まりました。

 こうして私は、山羊を飼っていたら、八木家の養子となり「八木」を名乗るようになったのです。余談ですが、「八木」という姓は一般には「ぎ」にアクセントをつけて「」と呼ぶものですが、わが家の近所では「や」にアクセントをつけて「」呼びます。つまり「八木=山羊」なのです。「さん」と呼ばれると、ちょっとおかしな気分になったものでした。今ではすっかり慣れましたけれど。

ヤギがシンボルのやぎ農園

 このようなわけで、わが家の姓は八木で、しかもヤギをずっと飼ってきたので「やぎ農園」と名付け、またシンボルとしてやぎのマークや写真を使っています。現在ヤギは飼っていませんが、これからも山羊のマークの「やぎ農園」をよろしくお願いいたします。

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